冗談じゃない。百のものはここにある。


子どもは
百のもので作られている。
子どもは
百の言葉を
百の手を
百の考えを
遊んだり話したりする
百の考え方を
愛することの驚きを
いつも百通りに聴き分ける百のものを
歌ったり理解する
百の楽しみを
発見する
百の世界を
夢見る
百の世界を持っている。
子どもは
百の言葉を持っている。
(その百倍もその百倍もそのまた百倍も)
けれども、その九十九は奪われている。
学校の文化は
頭と身体を分けている。
そして、子どもにこう教える。
手を使わないで考えなさい。
頭を使わないで行動しなさい。
話さないで聴きなさい。
楽しまないで理解しなさい。
愛したり驚いたりするのは
イースターとクリスマスのときだけにしなさい。
学校の文化は子どもに教える。
すでにあるものとして世界を発見しなさい。
そうして百の世界のうち
九十九を奪っている。
学校の文化は子どもに教える。
仕事と遊び
現実とファンタジー
科学と想像
空と大地
理性と夢は
ともにあることが
できないんだよと。

こうして学校の文化は
百のものはないと子どもに教える。
子どもは言う。
冗談じゃない。百のものはここにある。


---ローリス・マラグッツィ---(佐藤学 訳)


出典『子どもたちの100の言葉 レッジョ・エミリアの幼児教育』
世織書房






※この詩には、もうひとつ田辺敬子訳版があるのですが、僕はだんぜんこちらの訳のほうが気取っていて好き。精神やスピリットがずっと伝わってきます。(h)